大阪高等裁判所 平成2年(ネ)2825号 判決 1992年6月24日
主文
一 原判決中控訴人株式会社大阪日日新聞社に対し謝罪広告の掲載を命じた部分(原判決主文第六項)を取り消す。
2 右取消にかかる部分の被控訴人らの控訴人株式会社大阪日日新聞社に対する請求を棄却する。
3 控訴人株式会社大阪日日新聞社のその余の控訴を棄却する。
二 控訴人北村守、控訴人株式会社内外タイムス社、控訴人遠矢健一、控訴人株式会社東洋興信所、控訴人津幡正晴及び控訴人石亀清司の控訴をいずれも棄却する。
三 訴訟費用については、
1 被控訴人らと控訴人株式会社大阪日日新聞社との関係では、その間に生じた
(一) 第一審における分はこれを九分し、その二を被控訴人らの、その余を同控訴人の
(二) 当審における分は同控訴人の
2 被控訴人らと控訴人北村守、控訴人株式会社内外タイムス社、控訴人遠矢健一、控訴人株式会社東洋興信所、控訴人津幡正晴、控訴人石亀清司との関係では、その控訴費用は同控訴人らの
各負担とする。
理由
【事 実】
第一 当事者の申立
一 控訴人ら
1 原判決中控訴人ら敗訴部分を取り消す。
2 被控訴人らの請求をいずれも棄却する。
3 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。
二 被控訴人ら
1 控訴人らの控訴をいずれも棄却する。
2 控訴費用は控訴人らの負担とする。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 当事者
(一) 被控訴人池坊専永(以下「被控訴人専永」という。)は、華道池坊四五代宗匠であり、六角堂こと頂法寺の住職である。
被控訴人株式会社日本華道社(以下「被控訴人会社」という。)は、華道池坊関係の華道雑誌・書籍の出版及び販売を主な目的とする会社である。
(二) 控訴人株式会社東洋興信所(以下「控訴人東洋興信所」という。)は、経済上の情報の販売を目的とする会社で、信用情報紙「東洋経済通信」を発行しており、控訴人津幡正晴(以下「控訴人津幡」という。)は、同社の代表取締役の地位にあつて、従業員である編集者を指揮、監督する権限、責任を有するものであり、控訴人石亀清司(以下「控訴人石亀」という。)は、同社の従業員で東洋経済通信の発行人兼編集者である。
(三) 控訴人株式会社内外タイムス社(但し、本件報道当時の商号は内外タイムズ株式会社、以下「控訴人内外タイムス」という。)は、日刊新聞の印刷、発行及び販売を目的とする会社で、日刊新聞「内外タイムス」を発行しており、控訴人遠矢健一(以下「控訴人遠矢」という。)は、同社の代表取締役の地位にあり、従業員である編集者を指揮、監督する権限、責任を有するものである。
(四) 控訴人株式会社大阪日日新聞社(以下「控訴人大阪日日」という。)は、日刊新聞の発行及びこれに関連する出版印刷を目的とする会社で、日刊新聞「ニチニチ」を発行しており、控訴人北村守(以下「控訴人北村」という。)は、同社の代表取締役の地位にあり、従業員である編集者を指揮、監督する権限、責任を有するものである。
2 本件各報道
(一) 控訴人東洋興信所は、昭和六二年七月二七日発行の東洋経済通信において、「池坊専永氏の手形不渡」と題する別紙一のとおりの特報記事(以下「本件特報」という。)を執筆掲載し、そのころ右記事が掲載された右情報紙を郵送に付して京都市内の購読者に頒布した。
(二) 控訴人内外タイムスは、昭和六二年八月五日発行の内外タイムスにおいて、「池坊専永家元・また乱脈発覚・五億・不渡り手形」と題する記事(以下「本件タイムス記事」という。)を執筆掲載し、「華道界の最大流派『池坊』の家元池坊専永氏が五億円の不渡り手形を出した。専永氏と実弟の小野専孝氏がそれぞれ代表取締役に就任している会社が振り出した約束手形七通が先月二四日、協和銀行京都支店で不渡りになつていることが明らかとなつた。」などと記載し、そのころ同紙を主として東京方面において頒布した。
(三) 控訴人大阪日日は、昭和六二年八月七日発行のニチニチにおいて、「池坊専永家元・五億円不渡り手形・乱脈またも発覚」と題する記事(以下「本件ニチニチ記事」という。)を執筆掲載し、「華道界の最大流派『池坊』の家元池坊専永氏が五億円の不渡り手形を出した。専永氏と実弟の小野専孝氏がそれぞれ代表取締役に就任している会社が振り出した約束手形七通がこのほど、協和銀行京都支店で不渡りになつていることが明らかとなつた。」などと記載し、そのころ同紙を主として大阪方面において頒布した。
3 名誉毀損
前記各報道は、被控訴人専永及び被控訴人会社が、右各報道の当時においても今日においても不渡り手形を出したという事実がないのにかかわらず、被控訴人らが不渡り手形を出した旨を特報として掲載し、あるいは大々的に記事としているものであり、被控訴人らの社会的評価、とりわけ経済的信用を著しく低下させ、その名誉を毀損するものである。
4 控訴人らの責任
控訴人東洋興信所、同内外タイムス、同大阪日日は(その代表者及び従業員らをして)、いずれも、被控訴人らに事実を確認することもなく、また、何の根拠もなしに、ただ被控訴人専永の知名度が高いことのみを考え、興味本位もしくは被控訴人らを困惑させることのみを目的として、前記各報道を行つたものである。
そして、控訴人石亀は、東洋経済通信の発行人兼編集者として本件特報を掲載したものである。
また、控訴人津幡、同遠矢、同北村は、それぞれ控訴人東洋興信所、同内外タイムス、同大阪日日の代表者として、前記各報道を行い、あるいは従業員の選任、監督を怠つた責任がある。
5 損害
被控訴人らは、前記各報道による名誉毀損により回復しがたい損害を被つたものである。
これを慰謝するには、控訴人東洋興信所、同津幡、同石亀においては被控訴人らそれぞれに各自金五〇〇万円、控訴人内外タイムス、同遠矢においては被控訴人らそれぞれに各自金五〇〇万円、控訴人大阪日日、同北村においては被控訴人らそれぞれに各自金五〇〇万円をもつてするのが相当である。
また、被控訴人らの名誉を回復するため、控訴人東洋興信所に対してはその発行する東洋経済通信紙上に原判決別紙謝罪広告(一)の一、三のとおりの、同内外タイムスに対してはその発行する内外タイムス紙上に同(二)の一、三のとおりの、同大阪日日に対してはその発行するニチニチ紙上に同(三)の一、三のとおりの各謝罪広告を、各一回掲載することを命ずるのが相当である。
6 よつて、被控訴人らは、それぞれ、控訴人ら各自に対し、不法行為に基づく慰謝料として前記各金員とこれに対する各訴状送達の翌日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払と、控訴人東洋興信所、同内外タイムス、同大阪日日に対しては、これに加え、謝罪広告の掲載を求める。
二 請求原因に対する控訴人らの認否及び反論
1 控訴人東洋興信所、同津幡、同石亀(以下、右三名を表示するときは「控訴人東洋興信所ら」という。)
(一) 認否
請求原因1の(一)は不知、(二)は認める。同2の(一)は認め、同3、4は否認し、同5は争う。
(二) 反論
損害-謝罪広告請求について
被控訴人らは謝罪広告の掲載を請求するが、これは判決をもつて謝罪広告の掲載を強制するものであり、良心の自由ないし沈黙の自由を害し、憲法一九条に反するものである。名誉回復措置としては、被控訴人ら勝訴判決が確定した旨の広告、即ち「勝訴判決広告」で十分であり、違憲な謝罪広告に代えて、この「より制限的でない他に選びうる手段」にとどめるべきである。
2 控訴人内外タイムス、同遠矢(以下、右二名を表示するときは「控訴人内外タイムスら」という。)
(一) 認否
請求原因1の(一)は不知、(三)は認める。同2の(二)は認め、同3、4は否認し、同5は争う。
(二) 反論
(1) 控訴人遠矢の責任について
控訴人内外タイムスの代表者控訴人遠矢は、控訴人内外タイムス外数社の関連会社を経営する実業家で多忙を極め、高度の経営判断を要する事項については格別、日常の取材・編集・報道について現場において直接指揮、監督しておらず、実際上も膨大な紙面の各記事について個別にその内容を審査・監督することは不可能であるところ、本件タイムス記事に関しても直接指揮、監督に及んだことは一切ないから、本件タイムス記事報道に関し控訴人遠矢には何らの過失も認められず、責任を問われる謂われはない。
(2) 損害-謝罪広告掲載請求について
被控訴人らは謝罪広告の掲載を請求しているが、
<1> 判決で謝罪広告を強制することは憲法一九条の保障する良心の自由を侵害するものでその違憲性、違法性は明白であり、これを命ずることは許されない。
即ち、今日の民主主義社会において、沈黙の自由を含む良心の自由が、侵されてはならない最低限度の精神的自由として極めて重要な地位を占めていること、謝罪広告を命ずる判決が報道機関の報道行為を対象としてなされるときは、報道機関の報道に対して著しい萎縮効果をもたらして報道の自由を制約し、ひいては国民の知る権利をも侵害することになりかねないことなどに鑑みれば、謝罪広告の違憲性、違法性は明白である。
<2> 仮に謝罪広告が一般的にその合憲性を認められ、かつ、本件タイムス記事が名誉毀損に当たると認定されるとしても、本件名誉毀損の程度・態様及びその後の経緯に照らせば、既に被控訴人らの名誉は十分回復され、現時点において名誉毀損状態の継続はないから、被控訴人らの求める謝罪広告掲載請求は、もはや相当性及び必要性を欠くに至つたものである。
即ち、抗弁においても主張しているとおり、本件タイムス記事は、公共性を有する事項に関し、公益目的から報道したもので反社会性はなく、その内容も見出し及びリード部分の表現が多少激越・辛辣でその要約に読者の誤解を生じ易い点があつたというだけであつて、それも本文部分を一読すれば当該記事の摘示する事実を容易に把握して当初の誤解を修正することができるうえ、右摘示事実自体はその主要部分において真実であるから、仮にそれが名誉毀損に該当すると認められるとしても、その違法性及び過失の程度は軽微なものである。しかも、被控訴人らの被害も、例えば、本件タイムス記事報道により被控訴人らが予定されていた融資取引を停止され、あるいはその後与信を受けられなくなつてその経済業務に支障をきたした等の具体的損害が生じたとの事情はまつたく窺われず、極めて軽微もしくは特記すべきものは何もなかつたものというべく、もし仮にあつたとしても金銭賠償によつて十分賠償が可能であると解されるし、仮に本件タイムス記事報道によつて被控訴人らが不渡手形を出したと誤解した者がいたとしても、その後四年以上が経過し、事件も風化するとともに、その間の被控訴人らの正常な経済活動の継続によつて被控訴人らの名誉は既に十分回復されたものと考えられ、現時点においてなお、本件タイムス記事を理由として被控訴人らが信用取引を拒否されることがあるとは到底思われないものである。
<3> 仮に謝罪広告請求が一般的には認められるとしても、被控訴人らの本件謝罪広告請求は、新聞紙の顔ともいえる一面に多大のスペースを割いた謝罪広告の掲載を求める過剰かつ異常なものであり、事案の実態、右のような謝罪広告を掲載した場合には、控訴人内外タイムスに対する一般読者の信頼が著しく損なわれ、その発行にかかる内外タイムスの売上減を招き、控訴人内外タイムスにおいて取り返しのつかない損害を生じる蓋然性が極めて高いこと等に照らし、著しく不相当かつ不必要な請求である。
3 控訴人大阪日日、同北村(以下、右二名を表示するときは「控訴人大阪日日ら」という。)
(一) 認否
請求原因1の(一)は不知、(四)は、控訴人北村が編集者を指揮、監督する責任を有していることは否認し、その余は認める。同2の(三)は認め、同3の事実は、被控訴人らが不渡りを出したことがないことは不知、その余は否認する。同4、5は争う。
(二) 反論
(1) 被控訴人専永に対する名誉毀損について
本件ニチニチ記事により被控訴人専永に対する名誉毀損が認められるとしてもその程度は次のとおり極めて低いものであり、高額の慰謝料支払や謝罪広告が認容されるべき事案ではない。
今日の情報産業の高度化と商業紙市場の加熱に伴い、良きにせよ悪しきにせよ、報道記事の見出し部分は記事のまとめというよりも読者の関心を引きつけるためという独立の目的をもつた性質に変容しているものであり、大衆娯楽夕刊紙やスポーツ専門紙の場合、目につく見出しこそがその日の新聞の売行きに重大な影響を与えることになる。
しかも、このような情報に慣れ親しんできた一般の読者は、大衆娯楽夕刊紙やスポーツ専門紙においては、見出しが誇張されていることを十分認識しており、見出しだけでこれを信用することはまずない。
これを本件ニチニチ記事についてみるに、その中身は記事提供を受けた本件タイムス記事と同じであるが、見出しの大きさや構成には違いがあり、本件ニチニチ記事においては、最も大きな見出しは「乱脈またも発覚」であり、横書きの「主役の実弟が振り出す」との見出しも大きく目立つようになつていて、これらを総合すると「五億円不渡り手形」を振り出したのは被控訴人専永ではなくその実弟であることが分かるようになつているのであつて、被控訴人専永に対する名誉毀損の程度は極めて低いものである。
(2) 損害(慰謝料及び謝罪広告掲載請求)について
<1> 控訴人内外タイムスらの前記反論の(二)の<1><2>のとおり
<2> 右に加え、控訴人大阪日日は、抗弁で主張のとおり、本件ニチニチ記事を掲載する時点においてはその内容を真実と信じるについて相当な理由が存したと考えているが、本件の控訴審における審理において提出された証拠により約束手形振出の経緯が判明したことから、平成四年一月二四日付ニチニチの紙面に、別紙二のとおりの謝罪広告及び経過説明の記事を掲載した。
右記事によつて、被控訴人らの名誉、信用の回復は十分にはかられており、被控訴人らの謝罪広告掲載請求はもはや理由がないのみならず、損害額の算定に際してもこれが斟酌されるべきである。
三 控訴人らの抗弁
1 控訴人東洋興信所ら
本件特報には以下に述べるように、公共性、公益性及び真実性が存在し何ら違法性はないし、仮に真実性が証明の段階に至つていないとしても、真実と信ずるについて相当の理由があるから、故意または過失はなく、いずれにしても不法行為責任は生じないものである。
(一) 公共性、公益性について
(1) 被控訴人専永が理事長をしている訴外財団法人青少年修心道場会(以下「道場会」という。)は、昭和五六年六月一日、京都府教育委員会の設立許可を得、同月九日設立されたものであるが、昭和六〇年ころから顕在化した多額の債務整理について、多数の利害関係人に影響をもたらした問題(以下「道場会問題」という。)は、マスコミ等で報道され、重大な社会問題となつた。
(2) 道場会は、昭和六一年七月一五日、解散許可がなされたが、その前日に、被控訴人専永らは声明文を読み上げて記者会見し、「理事全員が清算人となつて最後まで社会的責任を果たす。」と誓約した。また、これに先立ち、道場会の常務理事であつた訴外小野専孝(被控訴人専永の弟、以下「小野専孝」という。)は、「詰め腹」(昭和六〇年一一月二六日読売新聞)により池坊関連団体の役員を辞任したものの、被控訴人会社の取締役の地位は依然として維持し、道場会の債務整理を含む清算事務を履行していたものである。そして、社会問題としても大きく注目されていた道場会の残債務の整理のため本件で問題となる二通の約束手形を含む手形が振出されていたことは、マスコミ関係者の間では公知の事実であつた。
(3) ところが、控訴人東洋興信所らは、突如として右二通の手形が不渡りとなつたことを知り、その金額が多大であつたことから、「最後まで社会的責任を果たす。」との対外的表明と著しく反した事態となり、道場会問題が再燃したと認識した。
(4) そのため、公共の利害に関するこの問題が再燃することにより、将来発生すると予想される種々多数の被害を少しでも防ごうとの公益目的をもつて、その真実を本件特報として報道したのである。
(二) 真実性について
本件特報は、その見出しにおいて「池坊専永氏の手形不渡」としているが、その見出しの記載のみからその報ずる中心的事実を判断すべきものではなく、常識からみて、また、本件特報の内容を見れば、本件特報が報じているのは、被控訴人専永の個人会社としての被控訴人会社についての不渡りであることが明らかである。
即ち、本件特報の報ずる中心的事実は、被控訴人専永の振出にかかるものであるかどうかといつたことや銀行実務上の不渡処分がなされたかどうかといつたこと等にあるのではなく、被控訴人専永が関与する手形が期日に決済されなかつたことにこそあるのであり、その真実性の判断もその点を基準としてなされるべきものである。
そして、被控訴人会社はその代表取締役でもあつた被控訴人専永の個人会社にほかならないところ、期日に決済されなかつた二通の手形面上には「株式会社日本華道社取締役小野専孝」との署名、押印がなされ、かつ、被控訴人専永の実弟である右小野専孝は、被控訴人専永から右二通の手形の振出権限を与えられていたのであるから、それが保証の趣旨か共同振出の趣旨かを問わず、権限に基づく有効な手形行為と認められ、被控訴人会社には手形金支払の義務があるものというべく、本件特報の報じた事実は、真実以外の何物でもないのである。
(三) 真実と信ずることに相当の理由があることについて
仮に本件特報の真実性が証明の段階に至つていないとしても、控訴人東洋興信所は、前記(一)の事実経過を踏まえ、かつ、その独自の取材活動に基づく銀行照会等により被控訴人専永が代表者となつている被控訴人会社が共同で振り出した手形が不渡りとなつたと信じて本件特報を掲載したものである。そして、特報の性質上本件特報掲載の時点において控訴人東洋興信所が現に入手していた以上の、手形の写し等の資料の入手は不可能であつたもので、控訴人東洋興信所らがその当時現に入手した資料、情報に基づき本件特報を真実と信じたことには相当の理由がある。
2 控訴人内外タイムスら
(一) 本件における不法行為責任の成否に関しては、公正な論評の法理が適用されるべきであり、本件タイムス記事は公正な論評であるからその記事掲載に違法性はなく、不法行為責任は生じない。
(1) 公正な論評の法理とは、「公共の利害に関する事項または一般公衆の関心事であるような事項については、何人といえども論評の自由を有し、それが公的活動とは無関係な私生活暴露や人身攻撃にわたらず、かつ論評が公正である限りは、いかにその用語や表現が激越、辛辣であろうとも、またその結果として、被論評者が社会から受ける評価が低下することがあつても、論評者は名誉毀損の責任を問われることはない。そして論評の公正は、意見批判が客観的に正当である必要はなく、主観的に正当であると信じてなされればよい。」という考え方である。
右法理は、そもそも国民がその共通の関心事については広く情報を与えられ、自由に批判・討論をなし得ることが国民や社会の利益であるという考え方に基づいて、公務員ないしは、その人の行動・人格等に公衆が正当な関心を持つような職業につくことにより公の人物となつたいわゆるパブリック・フィギュアについては、その者の個人的立場より、自由で抑圧されない議論の場の必要性が優先するとして、一定の範囲において論評の対象となることを甘受すべきであるとの意図に発した議論であり、報道の自由を十分に保障し、もつて情報の受け手たる地位に置かれた国民の知る権利を実質的に保障せんとするものであるから、情報通信手段が飛躍的に発達する一方で、情報の受け手と送り手との分離・固定化が一層進みつつあるという今日の社会情勢のもとでこそ右法理の趣旨はよりよく妥当するものというべきである。本件においても公正な論評の法理こそ不法行為の成否を判断するにあたつての基準として採用されるべきである。
(2) 被控訴人専永は、華道池坊第四五世家元であり、被控訴人会社は、池坊関係の業務に必要な華道雑誌・書籍の出版、販売等を主な業務とし、被控訴人専永を代表取締役とする会社であるが、池坊一族をめぐつては、かねてより、被控訴人専永が理事長をつとめる道場会の巨額の負債問題等の醜聞が取り沙汰され、国民がその動向について強い関心を抱くに至つていたものであるから、被控訴人らは、その者の業績・名声・生活様式により、あるいは公衆がその人の行動・人格等に正当な関心を持つような職業につくことにより公の人物となつた公人、即ちパブリック・フィギュアであり、公正な論評の法理の適用を受ける者である。
そして、本件タイムス記事は、パブリック・フィギュアであるところの被控訴人らの経済的活動という公共の利害に関する事項について、記事を一見して了解できるような論評であり、まさに公正な論評であるから本件タイムス記事の掲載については何ら違法性はなく、不法行為責任は生じないものである。
(二) 仮に右公正な論評の法理が適用されず、最高裁昭和四一年六月二三日判決(民集二〇-五-一一一八)によつて明らかにされた「報道機関等の行為による名誉毀損については、その行為が公共の利害に関する事実にかかり、もつぱら公益をはかる目的にでた場合において、摘示された事実が真実であることが証明されたときは、右行為には違法性がなく、また、その事実が真実であることが証明されなくても、その行為者においてその事実を真実と信ずるについて相当の理由があるときは、右行為には故意または過失がなく、結局不法行為は成立しない。」との基準によるとしても、本件タイムス記事の報道は、公共の利害に関する事実に関し、公益をはかる目的でなされたものであり、その摘示事実は少なくともその主要部分において真実であり、然らずとしても真実と信ずるについて相当の理由があるといえるから、不法行為責任は発生しないものである。
以下、本件タイムス記事の真実性及び仮に真実性の証明がないとしても真実と信ずることに相当の理由があることについて敷衍する。
(1) 本件タイムス記事の摘示事実とその真実性について
本件タイムス記事は、確かに「池坊専永家元・また乱脈発覚・五億・不渡手形」と題し、「華道界の最大流派『池坊』の家元池坊専永氏が五億円の不渡り手形を出した。……専永氏と実弟の小野専孝氏がそれぞれ代表取締役に就任している会社が振り出した約束手形七通が先月二四日、協和銀行京都支店で不渡りになつていることが明らかになつた」等とするものであるが、右記事本文部分には同時に、
「問題の手形は七通あり、いずれも今年の五月二五日に株式会社祥雲堂代表取締役小野専孝氏が振り出しているのだが、『手形第二振出人欄には日本華道社の代表取締役・池坊専永氏の名前が記載されてあります……』と不渡りがでた協和銀行京都支店ではいう」
「この手形について、池坊華道会では『日本華道社は手形の保証もしていなければ、手形発行の依頼も受けていません。家元も「弟が振り出したかもしれないが、私はまつたく預かり知らないこと。今後弟の面倒は一切見ない。絶対に関係ない。」といつておられます。家元や日本華道社の印鑑は経理課の私が厳重に保管していますので、そんな手形に関係することはあり得ません』(経理課・八田氏)と無関係を強調する」旨の記載があり、取材による伝聞事実を詳細かつ正確に報道しているのである。
即ち、本件タイムス記事はこれを要するに、
<1> 約束手形七通は訴外株式会社祥雲堂(以下「祥雲堂」という。)が振り出したものであること
<2> その後、右手形が不渡りになつたことが判明したこと
<3> 右手形の第二振出人欄には、日本華道社の代表取締役・池坊専永の名前が記載されている旨訴外協和銀行京都支店が言つていること
<4> 池坊華道会は右手形への被控訴人らの関与を否定していること
を摘示したものであつて、被控訴人専永自身が手形を振り出したと断定しているわけではなく、いわんや被控訴人専永及び被控訴人会社に対して不渡処分が及んだとの報道は一切していないし、その手形行為の有効性についても一切言及していない。
結局、本件タイムス記事は、第二振出人欄に被控訴人専永が代表取締役をしている被控訴人会社の名称の記載された手形が不渡りになつたとの情報があることを指摘したに過ぎないのであつて、読者においても本件タイムス記事の本文部分を一読すれば、このことは即座に了解可能となるものである。そして、本件タイムス記事の右内容がその主要な部分において真実であることはいうまでもないところである。
(2) 本件タイムス記事の見出し及びリード部分の記載について
もつとも、本件タイムス記事の見出し及びリード部分冒頭に限定すれば、一部読者の誤解を生じ兼ねないような表現がないわけではない。
しかしながら、一般に報道記事における見出し部分は、読者に対し本文部分の内容を一見して正確かつ分かりやすく要約して伝達することを使命とするところ、限定されたスペースの中で右の要請を十分に充足させることは至難の技であり、しばしば見出し部分における表現が短絡に陥り、読者の誤解を招く事態が生ずることは、われわれの日常生活における経験上も自明のことである。そうだとすれば、報道記事の本文部分の内容がその主要部分において真実であるならば、仮にその見出し及びリード部分の要約・表現が多少不正確で読者の誤解を生じ易い点があつたとしても、その一事をもつて当該報道記事を真実でないと断ずることは、報道の自由を最大限保障する見地からも極力慎むべきである。
加えて、見出し部分は読者の関心を喚起してその購買意欲をそそることをも重要な目的とするものである。とりわけ内外タイムスのようないわゆる大衆紙においては読者の大衆的興味に訴える紙面構成が不可欠であり、読者の関心喚起という目的が重視されることになるのはやむを得ないし、事実、一般大衆紙においてその見出し部分が報道の実質的内容に比し、かなりオーバーに表現されていることは少なくない。
従つて、全国紙のような大新聞といわゆる大衆紙との差異を看過して同列に論じることは必ずしも妥当ではないと思われるが、そのような差異を等閑視するにしても、報道記事における見出し部分及びリード部分の叙上の機能に鑑みるならば、当該報道の本文部分の内容が正確であつて、それが読者において一読して了解可能な限りは、その見出し部分の表現が多少激越・辛辣となり、読者の誤解を生じ易い記載がなされた場合にも、これをもつて当該報道が真実でないと断ずることは許されないというべきである。
そうすると、本件タイムス記事の見出し及びリード部分の表現が多少激越・辛辣で読者に誤解を生じ易い点があるとしても、本文部分の報道内容はその主要な部分において真実であり、読者においても本文部分を一読すればそのことは了解可能であることは前記のとおりであるから、見出し及びリード部分の表現のみをもつて本件タイムス記事が真実でないと断ずることはできないものである。
(3) 真実であると信ずることに相当の理由があることについて
仮に、本件タイムス記事の摘示事実が「被控訴人専永と実弟の小野専孝がそれぞれ代表取締役に就任している被控訴人会社と祥雲堂が振り出した約束手形七通が不渡りになつた」もしくは「被控訴人専永が五億円の不渡り手形を出した」こととされ、右事実が真実であることが証明の程度に至つていないとしても、以下のとおり真実であると信ずるについて相当の理由がある。
<1> 控訴人内外タイムスは、本件報道をなすに際し、当時編集局報道部次長の地位にあつた訴外田原康邦において、事前に次のような入念な取材を行つた。
イ 田原は、友人である経済ジャーナリストの訴外高山住男から電話で、被控訴人専永が手形不渡りを出したとの情報を得た。
ロ そこで、田原は、高山から控訴人東洋興信所の発行した特報記事と被控訴人会社に関する資料をファックスで送つてもらつた。
ハ 次に田原は、民間信用情報機関である帝国データバンクに電話して、手形の存否を問い合わせ、祥雲堂振出にかかる手形が不渡りになつたとの回答を得た。
ニ 続いて田原は、不渡り手形の支払銀行とされる協和銀行京都支店に架電し、右ハの事実及び手形表面に被控訴人会社及び被控訴人専永の記載があつたことを確認した。
ホ 田原は、被控訴人会社にも架電して、経理担当の八田主任に取材し、被控訴人専永は署名しておらず、法的責任は一切負わないとの回答を得た。
ヘ さらに田原は、本件の背景について取材するために、池坊についての小説を書いている作家の訴外渡辺一雄からも取材した。
<2> 右のとおり、控訴人内外タイムスは、およそ考え得るあらゆるニュースソースにわたつて取材をなし、その客観性と公平性の維持に意を尽くしているのであり、事実報道にあたつて報道機関に要求される調査義務はすべて尽くしたものである。
<3> そして控訴人内外タイムスは、右取材を一応終えた時点で、少なくとも、約束手形は祥雲堂振出の手形であること及び右手形の第二振出人欄に被控訴人会社の記載がなされていたことを認識したものであるが、右に加え、協和銀行京都支店に対する取材によつて「被控訴人専永が小野専孝と共同で振り出したものと理解しております。」との回答を得ていたこと、一般的にいつても、手形面上に会社名の記載があるときはほとんどの場合、会社の手形行為があるものと考えるのが通常であり、また会社の行為即ち代表取締役の行為とみなされ易い日本の社会的意識のもとでは、会社が何らかの法的責任を負う場合には、純然たる法的意味は別として、代表取締役に責任が帰属するかのような意識も根強いことをも総合考慮すると、控訴人内外タイムスが、祥雲堂振出にかかる不渡り手形について、その第二振出人欄に被控訴人会社の名称が記載されていることをもつて、これを共同振出と解し、これが不渡りとなつた旨もしくは被控訴人専永が不渡りを出した旨を見出し及びリード部分において要約、表現したことについては、これを真実と信じたことについて相当の理由があるというべきである。
3 控訴人大阪日日ら
本件ニチニチ記事の報道は、公共の利害に関する事実にかかりもつぱら公益をはかる目的に出たものであつて、右行為には違法性がなく、不法行為は成立しないものである(公正な論評の法理)。即ち、
(一) 被控訴人らはいわゆる公人(パブリック・フィギュア)の地位にある。
パブリック・フィギュアとは、その者の業績・名声・生活様式により、あるいは公衆がその人の行動・人格等に正当な関心を持つような職業につくことにより公の人物となつた人であるが、このような立場にある者は、その公的性格から、公務員の職務行為に関する論評、報道等と同じように、一定の範囲において、論評の対象となることを甘受すべき地位にある。これは、国民がその共通の関心事については広く情報を与えられ、自由に批判、討論をなし得ることが国民や社会の利益であるという考え方に根ざしているものである。
被控訴人専永は華道池坊第四五世家元であり、被控訴人会社は、池坊関係の業務に必要な華道雑誌・書籍の出版及び販売等を主な業務とし、また被控訴人専永が代表取締役をつとめていたこと、そして華道「池坊」が華道界における最大流派であり、多数の国民を弟子として擁していることから、被控訴人らは、たとえ私人であつても公的性格を持ち、公人と称してさしつかえない地位、即ちパブリック・フィギュアであるといえる。とすれば、被控訴人らの個人的な立場より、自由で抑圧されない議論の場の必要性が優先する。
(二) 本件ニチニチ記事は公正な論評である。
新聞報道等において、その報道内容が公正な論評である場合、たとえ摘示事実が名誉毀損行為に客観的には該当することとなつても、不法行為責任は成立しないと考えるべきである。ここにいう公正な論評とは、公共の利害に関する事項または一般公衆の関心事であるような事項については、何人といえども論評の自由を有し、それが公的活動とは無関係な私生活暴露や人身攻撃にわたらず、かつ論評が公正である限りでは、いかにその表現が激越であろうとも、またその結果として、被論評者が社会から受ける評価が低下することがあつても、論評者は名誉毀損の責任を問われることはなく、そして論評の公正は、意見批判が客観的に正当である必要はなく、主観的に正当であると信じてなされればよい。
本件ニチニチ記事は、事前の綿密な取材に基づいて、公的団体である被控訴人会社ないしその代表者であつた被控訴人専永の活動という、公共の利害に関する事項あるいは少なくとも一般公衆の関心事にわたる事項について、記事を一見して了解できるような論評であり、まさに公正な論評であるから本件ニチニチ記事の掲載については何ら違法性がないものである。
(三) 少なくとも被控訴人会社については真実である。
被控訴人会社は、約束手形面上に振出人祥雲堂と並列して記名押印を行つているのであつて、これが保証の趣旨か共同振出の趣旨かという法的意味は別にしても、被控訴人会社が右約束手形について手形上の責任を負うことは明らかである。
(四) 本件ニチニチ記事を真実と信ずるに足る相当な理由がある。
控訴人大阪日日は、控訴人内外タイムスとの間で記事提携契約を締結し、日常的に控訴人内外タイムスの掲載記事の有償提供を受けてきた。しかも、本件タイムス記事は、協和銀行京都支店の談話や池坊華道会の経理課職員の談話も掲載されており、これらの談話内容の詳しさ等から、控訴人内外タイムスが綿密な取材をした形跡が認められた。また、控訴人大阪日日の記事は本件タイムス記事より二日遅れて転載しているが、この間、控訴人内外タイムスから本件ニチニチ記事について転載を見合わせてほしい旨の連絡もなかつた。
四 抗弁に対する被控訴人らの認否
控訴人らの抗弁はすべて否認ないし争う。
なお、被控訴人らは、報道上の名誉毀損の成否に関し、その行為が公共の利害に関する事実にかかり、もつぱら公益をはかる目的に出た場合において、摘示された事実が真実であることが証明されたときには違法性がなく、もし右事実が真実であることが証明されなくても、その行為者においてその事実を真実と信ずるについて相当の理由があるときは故意過失がないとの理論はこれを認めるものであるが、本件各報道はこれら要件のいずれをも備えていない。
第三 証拠関係《略》
【理 由】
第一 本件各当事者について
一 被控訴人らの地位、業務等
被控訴人らと控訴人東洋興信所ら、控訴人大阪日日らとの間では成立に争いがなく、控訴人内外タイムスらとの間では《証拠略》によれば、被控訴人専永は、華道池坊の第四五世家元であり、また六角堂こと頂法寺の住職であること、池坊は一五世紀の立花の名手池坊専慶を始祖とする最古の流派であつて、現在三〇〇〇を越えるといわれている華道の諸流派の中で最大の流派であること、被控訴人会社は、華道雑誌、書籍の出版並びに販売等を目的とする会社で、池坊の編集、発行する月刊誌「華道」(発行部数七万部)及び「ざ・いけのぼう」(発行部数一五万部)の販売等、主として池坊関係の華道雑誌、書籍の販売等を業としていること、被控訴人専永は、本件各報道がなされた昭和六二年当時、被控訴人会社の代表取締役でもあつたことが認められる。
二 控訴人らの業務、地位等
請求原因1の(二)(三)の事実は関係各当事者間において争いがない。
同1の(四)については、被控訴人らと控訴人大阪日日らとの間において、控訴人大阪日日が日刊新聞の発行及びこれに関連する出版印刷を目的とする会社で、日刊新聞「ニチニチ」を発行しており、控訴人北村が同社の代表取締役の地位にあることは争いがなく、右争いのない事実によれば、控訴人大阪日日の代表取締役として、従業員である編集者を指揮、監督する権限、責任を控訴人北村が有するものであることは明らかである。
第二 本件各報道と被控訴人らに対する名誉毀損について
一 本件特報と名誉毀損
請求原因2の(一)の事実は被控訴人らと控訴人東洋興信所らとの間に争いがなく、右争いのない事実によれば、本件特報は、見出しにおいて「池坊専永氏の手形不渡」と報じ、また、その本文において、手形は額面金二億円と同二億五〇〇〇万円の二通の約束手形で、第一振出人欄に株式会社祥雲堂代表取締役・小野専孝、第二振出人欄に株式会社日本華道社代表取締役・池坊専永の記載があり、右両会社の共同振出であること、被控訴人会社は被控訴人専永の個人会社として、池坊の業務に必要な華道雑誌等の販売等を主な業務目的とし、被控訴人専永自らが代表取締役をつとめるものであることや被控訴人専永のこれまでの経歴等を報ずるものであつて、本件特報が被控訴人らの社会的評価、とりわけその経済的信用を低下させ、その名誉・信用を害すべき性質のものであることは明らかである。
二 本件タイムス記事と名誉毀損
請求原因2の(二)の事実は被控訴人らと控訴人内外タイムスらとの間に争いがなく、右争いのない事実と《証拠略》によれば、本件タイムス記事は、第一面冒頭の最も大きな見出し部分で「また乱脈発覚・池坊専永家元・五億・不渡り手形」と、その下段のより小さい見出し部分で「前回の主役実弟が振り出す」とし、リード部分冒頭で「華道界の最大流派『池坊』の家元専永氏が五億円の不渡り手形を出した」と、またそれに続くリード部分で「専永氏と実弟の小野専孝氏がそれぞれ代表取締役に就任している会社が振り出した約束手形七通が先月二四日協和銀行京都支店で不渡りになつていることが明らかになつた。池坊華道会では表向き専永氏の関与を否定しているが、不渡り騒動の裏に一族の乱脈経営が浮かび上がつている。」と報じ、本文部分で問題の手形は計七通あり、いずれも今年の五月二五日に株式会社祥雲堂・代表取締役小野専孝氏が振り出していること、協和銀行京都支店では、「手形の第二振出人欄には日本華道社の代表取締役池坊専永氏の名前が記載されてあります。専永氏が専孝氏と共同で振り出したものと当行では理解しております。」と言つていること、小野専孝氏が支払わなければ日本華道社・池坊専永社長が支払わなければならないこととなること、これに対し池坊華道会は、被控訴人専永がまつたく関与していない旨述べていること等を報じていることが認められ、本件タイムス記事が、その内容に照らし、被控訴人らの社会的評価、とりわけその経済的信用を低下させ、その名誉・信用を害すべき性質のものであることは明らかである。
三 本件ニチニチ記事と名誉毀損
請求原因2の(三)の事実は被控訴人らと控訴人大阪日日との間に争いがなく、右争いのない事実と《証拠略》によれば、本件ニチニチ記事は、第一面冒頭の最も大きな見出し部分で「池坊専永家元・五億円不渡り手形・乱脈またも発覚」と、紙面中程のより小さい見出し部分で「主役の実弟が振り出す」とし、リード部分冒頭で「華道界の最大流派『池坊』の家元専永氏が五億円の不渡り手形を出した」と、またそれに続くリード部分で「専永氏と実弟の小野専孝氏がそれぞれ代表取締役に就任している会社が振り出した約束手形七通がこのほど協和銀行京都支店で不渡りになつていることが明らかになつた。池坊華道会では表向き専永氏の関与を否定しているが、不渡り騒動の裏に一族の乱脈経営が浮かび上がつている。」と報じ、本文部分で、問題の手形は計七通あり、いずれも今年の五月二五日に株式会社祥雲堂・代表取締役小野専孝氏が振り出していること、協和銀行京都支店では、「手形の第二振出人欄には日本華道社の代表取締役池坊専永氏の名前が記載されてあります。専永氏が専孝氏と共同で振り出したものと当行では理解しております。」と言つていること、小野専孝氏が支払わなければ日本華道社・池坊専永社長が支払わなければならないこととなること、これに対し池坊華道会は、被控訴人専永がまつたく関与していない旨述べていること等を報じていることが認められ、本件ニチニチ記事が、その内容に照らし、被控訴人らの社会的評価、とりわけその経済的信用を低下させ、その名誉・信用を害すべき性質のものであることは明らかである。
第三 控訴人らの抗弁について
一 控訴人東洋興信所ら関係
1 民事上、報道機関等の事実報道による名誉毀損については、個人の名誉の保護と表現の自由の保障との調和をはかる見地に立てば、報道等の表現行為により、その対象とされた人の社会的評価を低下させることになつた場合でも、当該行為が公共の利害に関する事実にかかりもつぱら公益をはかる目的に出た場合において、摘示された事実が真実であることが証明されたときは、右行為には違法性がなく、また、右事実が真実であることが証明されなくても、その行為者においてその事実を真実と信ずるについて相当の理由があれば、右行為には故意又は過失がなく、結局不法行為は成立しないものと解するのが相当である(最高裁判所第一小法廷昭和四一年六月二三日判決・民集二〇巻五号一一一八頁参照)。
2 本件特報の真実性について
そこで、本件特報が右基準の要件を備えるかどうかについて判断するに、まず、本件特報の摘示する事実とその真実性につき検討することとする。
前記第二の一の事実によれば、本件特報は、その見出し部分において被控訴人専永が振り出した手形が不渡りとなつたことを報じ、その本文部分において被控訴人会社が第二振出人として振り出した手形が不渡りとなつたことを報じるもの、即ち、被控訴人らが不渡り手形を出したことを報じていることが明らかである。
もつとも、本件特報の本文においては、被控訴人専永個人の振り出した手形の不渡りに関しては何ら触れるところがなく、かえつて不渡りとなつたとして具体的に本文で表示されているのは、被控訴人会社が第二振出人として祥雲堂と共同で振り出した約束手形のみであるところ、控訴人東洋興信所らはその点等をとらえ、本件特報が報じているのは被控訴人専永個人の振り出した手形が不渡りとなつたことではなく、被控訴人専永の個人会社としての被控訴人会社についての不渡りにほかならないし、しかも、その中心的事実として摘示するところは、右手形について銀行実務上の不渡処分がなされたか否かといつたことではなく、被控訴人専永が関与する手形が期日に決済されなかつたことにこそある旨主張する。
しかしながら、一般的に手形不渡りと表現する場合、これが銀行実務上の不渡処分になつたことを意味することは自明であると思料され、「池坊専永氏の手形不渡」との冒頭の見出し記載は、明確かつ断定的に被控訴人専永個人が不渡り手形を出したことを報ずる以外の何物でもなく、本件特報は、本文中に付された被控訴人会社が被控訴人専永の個人会社であるとの記載等と相まつて、被控訴人会社と被控訴人専永個人とを短絡的に同視し、被控訴人会社のみならず、被控訴人専永個人もが不渡り手形を出したかのように報ずるものといわざるを得ず、読者においてもそのような印象を与えられるものと認められ、控訴人東洋興信所らの主張は到底採用できない。
そうすると、本件特報の摘示事実の真実性の判断は、本件特報が報じていると認められる「被控訴人らが不渡り手形を出した」との事実に関してこれがなされるべきところ、本件全証拠によつても、右事実はこれを認めることができない。
もつとも、《証拠略》によれば、本件特報中で不渡りとなつたと表示された約束手形二通の手形表面には、本件特報が報ずるような被控訴人会社の代表取締役としての被控訴人専永の記載はないものの、振出人欄に祥雲堂の記名押印がなされ、その右余白部分に「株式会社日本華道社」との手書きによる表示があり、下部に「取締役小野専孝」の署名押印がなされていることが認められるけれども、代表資格の表示はないうえ、《証拠略》によれば、小野専孝は被控訴人会社の取締役ではあつたものの、代表権は有していなかつたものであるから、右記載があるからといつて右手形上に被控訴人会社の手形行為が有効に存在するとみることはできないというべきである。
また仮に、右手形上に被控訴人会社の手形行為があると解せられる余地があるとしても、《証拠略》によれば、手形面上に複数の署名があり、それが共同振出か否かが不明の場合には、銀行実務上は、特段の事情のない限り筆頭署名者のみを振出人とみなし、他は手形保証人と推定して処理するのが通例であると認められるところ、《証拠略》によれば、本件においても、右通常の扱いと同様に、振出人は筆頭署名者である祥雲堂であるとして祥雲堂に対する不渡処分がなされたのみで、被控訴人会社を共同振出人として被控訴人会社に対して不渡処分をなすようなことはなされていないことが明らかである。
以上のとおり、本件特報の摘示事実が真実であるとの証明はない。
3 真実であると信ずることに相当の理由があることについて
控訴人東洋興信所らは、本件特報が真実と信ずるについて相当の理由があつたとも主張し、《証拠略》中には、本件特報は、当時常務取締役として在任していた訴外本田昌弘がその情報を得たもので、右本田をして控訴人津幡の面前で銀行に架電させてその真実であることを確認のうえ報道した旨の部分がある。
しかしながら、仮に右供述を採用するとしても、その情報により得たとされる本件特報中に記載の不渡り手形は、被控訴人専永個人が振り出した手形ではないことが明らかであつたのであり、それにもかかわらず本件特報は、会社と個人とを短絡的に結びつけ、「池坊専永氏の手形不渡」と報じたものであつて、こと右部分に関して真実と信ずることに相当の理由があつたとは認められないことは自明である。
のみならず、前記供述は、いかなる筋からどのような事情で当該情報を得たのか具体性を欠き、果たして右情報が十分信頼に値するものかどうかまつたく不明なうえ、情報の真偽を確認したという銀行名もあいまいで、その確認したとされる内容も事実と異なり銀行が認めるはずもない内容である等、果たして右のような確認をしたのか自体甚だ疑問といわざるを得ず、右本人尋問の結果はにわかに信用することができないし、他に本件特報の内容が真実であると信ずることに相当の理由があることを認めさせるような証拠はない。
4 そうすると、本件特報の摘示事実の公共性、その目的の公益性について判断するまでもなく、控訴人東洋興信所らの抗弁は失当である。
二 控訴人内外タイムスら関係
1 民事上、報道機関等の事実報道による名誉毀損については、その報道の表現行為により、その対象とされた人の社会的評価を低下させることになつた場合でも、当該行為が公共の利害に関する事実にかかりもつぱら公益をはかる目的に出た場合において、摘示された事実が真実であることが証明されたときは、右行為には違法性がなく、また、右事実が真実であることが証明されなくても、その行為者においてその事実を真実と信ずるについて相当の理由があれば、右行為には故意又は過失がなく、結局不法行為は成立しないものと解するのが相当であることは、前記第三の一の1で述べたとおりである。
控訴人内外タイムスらは、本件の名誉毀損による不法行為の成否に関し、公正な論評の法理により違法性を判断すべきであると主張するが、公正な論評の法理の当否はさておき、右法理は、そもそも事実報道が目的ではない意見の開陳を目的とした批判・論評による名誉毀損についての不法行為の成否に関する法理であつて、本件におけるような事実報道による名誉毀損の不法行為の成否が争われている事案に右法理を採用することは不適切と認められ、当裁判所はこれを採用しない。
2 本件タイムス記事の真実性について
そこで、本件タイムス記事に関し、右基準の要件を備えるかどうかにつき判断するに、まず、本件タイムス記事の摘示する事実の真実性を検討する。
前記第二の二の事実及び《証拠略》により認められる本件タイムス記事の見出し、リード及び本文を総合すると、本件タイムス記事は被控訴人専永及び被控訴人会社が不渡り手形を出した旨を報ずるものと認められる。
もつとも、本件タイムス記事本文の記載をみる限りは、被控訴人専永個人が不渡り手形を出したとの点は何ら触れられていないうえ、問題の不渡り手形について、第二振出人欄に被控訴人会社の代表取締役として被控訴人専永の名前が記載されていること、これが被控訴人専永と小野専孝の共同振出と理解されることに関しては、協和銀行京都支店が言つている旨の伝聞形式で記載されているにとどまり、また、それらについての被控訴人らの関与を否定する池坊側の反論も記載されてはおり、控訴人内外タイムスらは、それらの点等をとらえ、結局本件タイムス記事は、第二振出人欄に被控訴人専永が代表取締役をしている被控訴人会社の名称の記載された手形が不渡りになつたとの情報があることを指摘したに過ぎない旨主張する。
しかしながら、当該記事が報じている事実の判断にあたつては、本文の記載のみだけではなく、見出し、リード部分も総合してなされるべきは当然であるところ、紙面第一面冒頭の最も大きな見出し部分で「また乱脈発覚・池坊専永家元・五億・不渡り手形」と、リード部分冒頭で「華道界の最大流派『池坊』の家元専永氏が五億円の不渡り手形を出した」とする本件タイムス記事は、不渡りとなつていることが判明したとして同記事本文中に記載の手形が被控訴人専永個人が振り出したものではないにもかかわらず、会社と個人とを短絡的に結びつけ被控訴人専永個人が不渡り手形を出したかのようにこれを断定的に報ずるものと認められ、被控訴人会社に関しても、リード部分で「専永氏と実弟の小野専孝氏がそれぞれ代表取締役に就任している会社が振り出した約束手形七通が先月二四日協和銀行京都支店で不渡りになつていることが明らかになつた。」として、断定的に不渡りとなつた旨報じていることが認められる。また、本件タイムス記事の読者においても、右記事によつて被控訴人会社のみならず、被控訴人専永個人もが不渡り手形を出したかのような印象を与えられることは否定できないと認められ、控訴人内外タイムスらの右主張は採用できない。
なお、控訴人内外タイムスらは、見出し及びリード部分の性格につき、その記事の要約としての側面と読者の関心を喚起して読者の購買意欲をそそる側面があり、その記載が多少激越・辛辣で読者に誤解を与え兼ねない場合であつても、本文の内容が正確であれば報道の真実性は保たれるかのようにも主張するところ、見出し及びリード部分の機能として同控訴人らが指摘するような機能があることは否定するものではないが、だからといつてその記載が不正確であつてよいものではなく、にわかに右主張は採用することはできない。
そうすると、本件タイムス記事内容の真実性についての判断は、本件タイムス記事が報じていると認められる「被控訴人らが不渡り手形を出した」との事実に関してこれがなされるべきところ、本件全証拠によつても、右事実はこれを認めることができない。
もつとも、《証拠略》によれば、本件タイムス記事中で不渡りとなつたと記載された約束手形七通(うち二通が本件特報で報じられた手形である。)につき、実際には、被控訴人会社の代表取締役としての被控訴人専永の記載はないものの、その手形表面の振出人欄に祥雲堂の記名押印がなされ、その右余白部分に「株式会社日本華道社」との手書きによる表示があり、下部に「取締役小野専孝」の署名押印がなされていることが認められるけれども、右記載があるからといつて右手形上に被控訴人会社の手形行為が有効に存在するとみることはできないことは控訴人東洋興信所らの関係で、本件特報で報じられた手形について述べたところ(前記第三の一の2)と同じであり、また仮に、右手形上に被控訴人会社の手形行為があると解せられる余地があるとしても、そのような手形面上に複数の署名があり、それが共同振出か否かが不明の場合には、銀行実務上は、特段の事情のない限り筆頭署名者のみを振出人とみなし、他は手形保証人と推定して処理するのが通例であると認められることも同時に述べたとおりであるし、右手形七通のうち、本件特報で報じられた二通(これについては既に第三の一の2で述べたとおりである。)以外の手形についても、右通常の扱いと同様に、振出人は筆頭署名者である祥雲堂であるとして祥雲堂に対する不渡処分がなされたのみで、被控訴人会社を共同振出人として被控訴人会社に対する不渡処分をするようなことはなされていないことは、《証拠略》によつて明らかである。
以上のとおり、本件タイムス記事の摘示事実が真実であるとの証明はない。
3 真実であると信ずることに相当の理由があることについて
控訴人内外タイムスらは、本件タイムス記事が真実と信ずるについて相当の理由があつたとも主張するところ、《証拠略》を総合すると、本件タイムス記事についての取材の端緒及び経過は次のとおりであつたと認められる。
(一) 昭和六二年当時、控訴人内外タイムスの編集局報道部次長の地位にあつた訴外田原康邦は、友人である経済ジャーナリストの訴外高山佳男から電話で、被控訴人専永が不渡り手形を出したという情報を得た。
(二) 田原は、池坊に関しては社会的に騒がれている問題があることや家元制度についての問題点が指摘されており、興味を持つていたので、高山から控訴人東洋興信所の発行した本件特報と被控訴人会社の内容に関する資料をファックスで送つてもらつたところ、本件特報には「池坊専永氏の手形不渡」との見出しの下に、二通の手形が不渡りとなつたこと、その不渡り手形には第二振出人として日本華道社代表取締役池坊専永の記載があり、祥雲堂と被控訴人会社の共同振出であること、祥雲堂は被控訴人専永の実弟小野専孝が代表取締役であること、被控訴人会社は被控訴人専永の個人会社で同被控訴人自身が代表取締役をつとめていること等の記載があつた。
(三) そこで田原は、右の事実を確認するために民間信用情報機関帝国データバンクに電話して右のような手形の有無を問い合わせ、祥雲堂が振り出した手形が不渡りになつたという返事を得、その後その旨の記載のある不渡り報告を入手した(但し、その入手時期が本件タイムス記事掲載前であつたか掲載後であつたかは判然としない。)。
(四) また、田原は不渡り手形の支払銀行とされる協和銀行京都支店に電話をかけ、祥雲堂の振出にかかる手形七通、金額五億円ちよつとが七月二四日に不渡りになつたこと、その手形表面には日本華道社の名前があつたこと、小野専孝が日本華道社の役員であること等を確認するとともに、池坊華道会に電話して池坊総務所(頂法寺の華道関係部門)の経理主任で被控訴人会社の経理も担当している訴外八田茂に取材したところ、手形に被控訴人会社の名前があるということで銀行から問い合わせがあつたが、被控訴人会社は保証していないし依頼されたこともない、被控訴人専永も絶対に署名してないと言つている、小野専孝は被控訴人会社の非常勤の取締役であるが二年以上も顔を見せていない等、被控訴人専永及び被控訴人会社ともにまつたく関与をしていない旨の返事があつた。
(五) さらに田原は、本件で問題となる背景について取材するため、池坊についての小説を書いている作家の渡辺一雄に会つて取材した。
原審証人八田茂の証言中右認定と異なつて田原からの電話取材があつたことを否定する部分は採用できないし、《証拠略》(いずれも控訴人内外タイムスからの取材があつたことを否定する協和銀行京都支店の弁護士会照会に対する回答書)についても、原審証人田原康邦の証言及びその取材ノートに照らし採用できない。
なお、原審証人田原康邦の証言中には、協和銀行京都支店の電話取材により、前記(四)で認定した事実にとどまらず、手形には日本華道社代表取締役池坊専永の表示が祥雲堂の右に書いてあり、共同振出となつているとの回答を得たとの部分があり、本件タイムス記事には右趣旨が協和銀行京都支店のコメントとして報じられていることは前記第二の二のとおりである。
しかしながら、振出人欄に複数の署名があつてこれが共同振出かどうかがはつきりしない場合の銀行における通常の取扱いと、本件の手形についてもその通常の扱いによつており被控訴人会社を共同振出人として被控訴人会社に対する不渡処分をするようなことがなされていないことは、前記2項で認定のとおりであることに照らし、これと明らかに異なる回答を当該担当行員はもとより他の協和銀行京都支店職員(なお、原審証人田原康邦の証言によつては、田原に応対した行員を特定することはできず、協和銀行京都支店は取材があつたことを否定しているので、誰が田原に応対したものかは不明である。)が回答するとは考えられないことに加え、田原の取材ノートの協和銀行京都支店に関する部分の記載をみても、被控訴人専永に関する記載は一切なく、保証か共同振出かに関しても、それらに関する記載として「保証人」「第二発行約手に左に」「共同で発行」等との断片的な記載があるのみで、これらから直ちに田原が証言するような回答があつたとは推認しがたいこと、また、取材された側がそれを否定しているからといつて、このこと自体から直ちに取材した側が主張するとおりの回答があつたものとまで推認できるものではないこと等に照らすと、前掲田原の証言部分はにわかに措信できず、他に前記認定を覆すに足る証拠はない。
右事実によれば、田原は、高山から送付を受けた本件特報のファックスを端緒として、民間信用情報機関、支払銀行である協和銀行京都支店、被控訴人ら関係者にそれぞれ電話で裏付け取材したものではある。しかし、民間信用情報機関における確認ではそれと思われる手形七通が不渡りとなつていることは確認されたものの、同時に不渡処分を受けたのは祥雲堂であることの回答を得たにとどまり、協和銀行京都支店における確認では、これに加え、右手形表面に日本華道社の記載があることが確認されたにとどまり、八田茂経理主任に対する確認にあつては、むしろそれら手形への被控訴人らの関与を全面的に否定する回答を得たに過ぎず、結局、右裏付け取材によつては、それら手形についての被控訴人専永の関与の事実はもとより、被控訴人らが不渡りを出したとの事実は何ら確認されなかつたし、むしろ民間信用情報機関での確認の結果は被控訴人らが不渡りを出したとの事実は存在しないことを示していたというべきものである。
それにもかかわらず、本件タイムス記事は、前記のとおり、被控訴人らが手形不渡りを出した旨を報じたものであつて、これが真実であると信ずるについて相当の理由があつたとは認め得ないことは明らかである。
4 そうすると、本件タイムス記事の摘示事実の公共性、その目的の公益性について判断するまでもなく、控訴人内外タイムスらの抗弁は失当である。
三 控訴人大阪日日ら関係
1 報道機関等の事実報道による名誉毀損についての民事上の不法行為責任の成否に関しては、前記第三の一の1のとおり解すべきであつて、公正な論評の当否はさておき、事実報道による名誉毀損の不法行為の成否が争われている本件において、右法理を適用することは適切でなく当裁判所はこれを採用しないことは、控訴人内外タイムスら関係で述べたと同様である。
2 本件ニチニチ記事の真実性について
そこで、本件ニチニチ記事が前記第三の一の1の基準の要件を備えるかどうかにつき、まず、本件ニチニチ記事内容の真実性について検討する。
《証拠略》によれば、本件ニチニチ記事は、控訴人内外タイムスとの記事提携契約に基づき、控訴人大阪日日が本件タイムス記事を転載したものであつて、前記第二の二と第二の三の事実及び前掲甲第二号証と同甲第三号証の一、二の各対比から容易に判明するとおり、その見出しの構成等に若干の相違こそあれ、内容は同一であり、本件ニチニチ記事は、本件タイムス記事同様被控訴人専永及び被控訴人会社が不渡り手形を出した旨を報ずるものであると認められ、従つてまた、右本件ニチニチ記事が報ずる事実が真実であることの証明がないことも本件タイムス記事に関して既に判断したところと同様であると認められる。
3 真実と信ずる相当の理由があることについて
控訴人大阪日日らは、本件ニチニチ記事が真実と信ずるについて相当の理由があつたとも主張するが、前項で認定のとおり本件ニチニチ記事は、本件タイムス記事を転載したものであるところ、《証拠略》によれば、控訴人大阪日日は、右転載にあたつては、もつぱら協和銀行京都支店の談話や池坊華道会の経理課職員の談話も掲載されていること、その談話内容の詳しさ等その記事内容のみから信頼できるものと判断し、控訴人内外タイムスから転載を見合わせるような申入れもなかつたことからこれを掲載したというのであつて、控訴人内外タイムスにその信用性についての確認もしていなければ、控訴人大阪日日独自の取材ないし裏付け等はまつたくしていないことが認められるのであつて、本件ニチニチ記事が真実と信ずるについて相当の理由があつたとは到底認められない。
4 そうすると、本件ニチニチ記事の摘示事実の公共性、その目的の公益性について判断するまでもなく、控訴人大阪日日らの抗弁は失当である。
第四 控訴人らの責任
一 控訴人東洋興信所ら関係
《証拠略》によれば、本件特報の情報をもたらし、これを主として執筆したのは当時常務取締役として控訴人東洋興信所の業務に従事していた訴外本田昌弘であるが、代表取締役である控訴人津幡自らもその掲載、発行に関与していたことが認められ、また、弁論の全趣旨によれば、控訴人石亀も、東洋経済通信の発行人兼編集者として他の従業員らとともにこれに当然関与していたものと認められる。
そして、本件特報掲載、発行に関与した右の者らは、信用情報紙の編集及び発行に携わるものとして、他人の名誉・信用を不法に毀損することのないように注意を払うべき義務を負つていたものであるところ、前記第三の一の2、3で認定の事実によれば、右注意義務を怠つて、被控訴人らの名誉を毀損する内容の本件特報を東洋経済通信に掲載、発行したものと認められる。
そうすると、控訴人津幡、同石亀は民法七〇九条に基づき、控訴人東洋興信所は、その代表者及び被用者が行つた右行為につき、商法二六一条三項、七八条二項、民法四四条一項及び民法七一五条一項に基づき、それぞれ不法行為責任を負うものと認められる。
二 控訴人内外タイムスら関係
《証拠略》によれば、本件タイムス記事の執筆掲載に主として関与したのは、当時控訴人内外タイムスの編集局報道部次長であつた訴外田原康邦であること、代表取締役の控訴人遠矢は、本件タイムス記事報道につき直接関与していたか否かの点は定かではないが、控訴人内外タイムスの業務全般を掌握し、少なくとも右田原ら従業員に対する選任、監督等は直接これを行つていたことが認められる。
そして、本件タイムス記事掲載、発行に関与した右田原を始めとする控訴人内外タイムスの従業員は、日刊新聞の編集及び発行に携わるものとして、他人の名誉・信用を不法に毀損することのないように注意を払うべき義務を負つていたものであるところ、前記第三の二の2、3で認定の事実によれば、右注意義務を怠つて、被控訴人らの名誉を毀損する内容の本件タイムス記事を内外タイムスに掲載、発行したものと認められる。
そうすると、控訴人内外タイムスは、田原ら本件タイムス記事掲載、発行に従事した者らの使用者として民法七一五条一項に基づき、控訴人遠矢は、控訴人内外タイムスの代理監督者として民法七一五条二項に基づき、それぞれ不法行為責任を負うものと認められる。
三 控訴人大阪日日ら関係
《証拠略》によれば、本件ニチニチ記事の掲載、発行に主として関与したのは、当時控訴人大阪日日の編集局次長兼報道部長であつた訴外伊牟田達哉であり、代表取締役の控訴人北村は、記事の編集等には直接の関与はしていなかつたものの、その業務全般を掌握し、少なくとも右伊牟田ら従業員に対する選任、監督等は直接これを行つていたことが認められる。
そして、本件ニチニチ記事掲載、発行に関与した右伊牟田を始めとする控訴人大阪日日の従業員は、日刊新聞の編集及び発行に携わるものとして、他人の名誉・信用を不法に毀損することのないように注意を払うべき義務を負つていたものであるところ、前記第三の三の2、3で認定の事実によれば、右注意義務を怠つて、被控訴人らの名誉を毀損する内容の本件ニチニチ記事をニチニチに掲載、発行したものと認められる。
そうすると、控訴人大阪日日は、伊牟田ら本件ニチニチ記事掲載、発行に従事した者らの使用者として民法七一五条一項に基づき、控訴人北村は、控訴人大阪日日の代理監督者として民法七一五条二項に基づき、それぞれ不法行為責任を負うものと認められる。
第五 損害について
一 控訴人東洋興信所ら関係
1 前記争いのない請求原因1の(二)の事実、前記第三の二の3、第三の三の3で認定の事実、《証拠略》を総合すると、控訴人東洋興信所の発行する東洋経済通信は月四回発行、発行部数三〇〇ないし四〇〇部で、京都府、滋賀県、大阪府などの読者に郵送されていること、本件特報による被控訴人らが不渡り手形を出したとの事実の公表が、控訴人内外タイムスの本件タイムス記事及び控訴人大阪日日の本件ニチニチ記事各掲載の契機となつたこと、そのために、被控訴人らに取引銀行等からの問い合わせがなされ、あるいは池坊の門弟らの間に動揺が生じ、その募集する年金の加入者数にも影響が出る等、被控訴人専永及び同被控訴人が代表取締役をしていた被控訴人会社の社会的名声や経済的信用に悪影響を及ぼしたことが認められる。そして本件に現れたその他一切の事情を総合考慮すると、本件特報により被控訴人専永が被つた精神的苦痛及び被控訴人会社が受けた無形の損害を慰謝又は賠償するためには、控訴人東洋興信所ら各自に対し、被控訴人専永に金一〇〇万円、被控訴人会社に金五〇万円の慰謝料の支払を命じるのが相当である。
2 また、控訴人東洋興信所に対しては、被控訴人らの名誉回復措置として、民法七二三条に基づき、同控訴人の発行する東洋経済通信紙上に原判決別紙謝罪広告(一)の一、二のとおりの謝罪広告を一回掲載させるのが相当である。
なお、控訴人東洋興信所は、謝罪広告を命ずる判決が憲法一九条で保障された良心の自由ないし沈黙の自由を侵害することを理由に、より制限的でない勝訴判決広告を命ずるべきであると主張するが、謝罪広告を命ずる判決はその広告の内容が単に事態の真相を告白し陳謝の意を表明するにとどまる程度のものである限り、憲法一九条に反するものではないと解される(最高裁判所大法廷昭和三一年七月四日判決・民集一〇巻七号七八五頁参照)から、右主張は採用できない。
二 控訴人内外タイムスら関係
1 前記争いのない請求原因1の(三)の事実、前項1で認定の事実、《証拠略》を総合すると、控訴人内外タイムスの発行する日刊紙内外タイムスは、日曜日を除く毎日発行の夕刊紙で、東京方面において発売され、昭和六二年当時の発行部数は二九万六〇〇〇部であつたこと、本件タイムス記事が公表されたため、被控訴人らに取引銀行等からの問い合わせがなされ、あるいは池坊の門弟らの間に動揺が生じ、その募集する年金の加入者数にも影響が出る等、被控訴人専永及び同被控訴人が代表取締役をしていた被控訴人会社の社会的名声や経済的信用に悪影響を及ぼしたことが認められる。そして本件に現れたその他一切の事情を総合考慮すると、本件タイムス記事により被控訴人専永が被つた精神的苦痛及び被控訴人会社が受けた無形の損害を慰謝又は賠償するためには、控訴人内外タイムスら各自に対し、被控訴人専永に金一五〇万円、被控訴人会社に金二〇万円の慰謝料の支払を命じるのが相当である。
2 また、控訴人内外タイムスに対しては、被控訴人らの名誉回復措置として、民法七二三条に基づき、同控訴人の発行する内外タイムス紙上に原判決別紙謝罪広告(二)の一、二のとおりの謝罪広告を一回掲載させるのが相当である。
なお、謝罪広告を判決で命ずることが憲法一九条に反するものではないことは、既に前項2で述べたとおりである。また、本件報道による名誉毀損はその内容が、不渡り手形を出したという、今日の社会で経済活動を行う者にとつては致命的ともいえる事項に係るものであり、かつ、不特定多数の読者にこれが及んでいるものであつて、決して軽微なものではないことに鑑みると、被控訴人らが現実に融資等について支障を受けることなく今日まで経過し、既にその報道時点から四年以上経過しているからといつて、読者の受けた悪印象等がすべて払拭され、既に名誉毀損状態が現在では回復されているとまでは認められず、なお原状回復の措置を命ずる必要はあるというべきであるし、原判決別紙謝罪広告(二)の一、二のとおりの謝罪広告の掲載は何ら過剰でも異常でもない。この点に関する控訴人内外タイムスの反論(請求原因に対する控訴人内外タイムスらの反論の(2))はいずれも採用の限りでない。
三 控訴人大阪日日ら関係
1 前記第五の一の1で認定の事実、《証拠略》を総合すると、控訴人大阪日日の発行する日刊紙ニチニチ(この点は当事者間に争いがない。)は、日曜日を除く毎日発行の夕刊紙で、大阪方面において発売され(大阪方面において発売されていることは当事者間に争いがない。)、昭和六二年当時の発行部数は二二万五〇〇〇部であつたこと、本件ニチニチ記事が公表されたため、被控訴人らに取引銀行等からの問い合わせがなされ、あるいは池坊の門弟らの間に動揺が生じ、その募集する年金の加入者数にも影響が出る等、被控訴人専永及び同被控訴人が代表取締役をしていた被控訴人会社の社会的名声や経済的信用に悪影響を及ぼしたことが認められる。そして本件に現れたその他一切の事情を総合考慮すると、本件ニチニチ記事により被控訴人専永が被つた精神的苦痛及び被控訴人会社が受けた無形の損害を慰謝又は賠償するためには、控訴人大阪日日ら各自に対し、被控訴人専永に金一五〇万円、被控訴人会社に金二〇万円の慰謝料の支払を命じるのが相当である。
2 被控訴人らは、控訴人大阪日日に対しても、謝罪広告掲載を求めるが、《証拠略》によれば、控訴人大阪日日は、平成四年一月二四日付けで発行のニチニチ紙上に、別紙二のとおりの謝罪広告及び経過説明の記事を掲載したことが認められるところ、そのなされた謝罪広告は、被控訴人らが求める謝罪広告(原判決別紙謝罪広告(三)の一、三)どおりではないものの、事実に反する報道であつたことを認め、陳謝の意を表するものであることに照らすと、控訴人大阪日日に対しては、重ねて名誉回復措置として謝罪広告の掲載を命ずる必要はないものと認めるのが相当である。
第六 まとめ
以上の次第で、被控訴人らの請求は、控訴人東洋興信所らに対する関係では、控訴人東洋興信所に対しその発行する東洋経済通信紙上に原判決別紙謝罪広告(一)の一、二のとおりの謝罪広告を一回掲載すること、被控訴人専永が控訴人東洋興信所らに対し慰謝料として各自金一〇〇万円、被控訴人会社が同控訴人らに対し慰謝料として各自金五〇万円及びこれらに対する控訴人東洋興信所、同石亀については不法行為の後(訴状送達の日の翌日)である昭和六二年一一月一二日から、控訴人津幡については不法行為の後(訴状送達の日の翌日)である昭和六二年一二月三日から支払ずみまでそれぞれ民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で、控訴人内外タイムスらに対する関係では、控訴人内外タイムスに対しその発行する内外タイムス紙上に原判決別紙謝罪広告(二)の一、二のとおりの謝罪広告を一回掲載すること、被控訴人専永が控訴人内外タイムスらに対し慰謝料として各自金一五〇万円、被控訴人会社が同控訴人らに対し慰謝料として各自金二〇万円及びこれらに対する不法行為の後(訴状送達の日の翌日)である昭和六二年一一月一二日から支払ずみまでそれぞれ民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で、控訴人大阪日日らに対する関係では、被控訴人専永が控訴人大阪日日らに対し慰謝料として各自金一五〇万円、被控訴人会社が同控訴人らに対し慰謝料として各自金二〇万円及びこれらに対する不法行為の後(訴状送達の日の翌日)である昭和六二年一一月一二日から支払ずみまでそれぞれ民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で、理由があるから右限度でこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却すべきものである。
よつて、原判決中、右と異なつて、被控訴人らの控訴人大阪日日に対する謝罪広告請求を認容した部分(原判決主文第六項)については、控訴人大阪日日の本件控訴は理由があるから右部分はこれを取り消し、被控訴人らの右部分の請求はこれを棄却し、控訴人大阪日日のその余の本件控訴及びその余の控訴人らの本件各控訴はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について、民訴法九六条、九五条、八九条、九二条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 潮 久郎 裁判官 山崎 杲 裁判官 上田昭典)